「新型コロナウィルス(以下:コロナ)により、生活が変わったと思う。」この記事を読んでいる多くの方が、そのように感じているのではないでしょうか。
働き方や生き方が変わり、今の生活に何らかの違和感を持っている人もいるかもしれません。
そんな、目に見えないけれども感じる違和感や生きづらさを描いた映画、「裸のムラ」監督の五百旗頭幸男さん(以下:監督)にお話を伺いました。
石川県で現職27年目を迎えた谷本正憲知事は、コロナ禍に移動を推奨するような失言や大人数での会食など、失態を重ね長期の県政は終わりを告げた。カメラは同じ頃、県内に住まうムスリムや車上生活を続ける家族の、同調圧力に苦しみ抗う姿も映し出していく。
引用:映画ナタリー
コロナが猛威をふるい始めた2020年春以降、政治家も市民も未知のウィルスの脅威に振り回されていました。
テレビには、生活必需品の買い占めやマスクをつけないと外出ができない人々の姿が映し出されています。
「目には見えないけれど、未知のウィルスによって何かがはっきり変わっていることを映像で表したい。」
そんな監督の想いから、本映画の取材が始まりました。
映画では県知事、ムスリム一家、バンライファー、と一見すると何も共通点がない人々にスポットが当てられます。
取材を重ねるごとに国籍・年齢・立場等が異なっても「ムラ」の住人である姿が浮き彫りになっていきます。
まずは石川県議会。
現職最長となる7期27年目の谷本正憲知事は、コロナ禍に「無症状の方は石川県にお越しいただければ」と失言。
「4人以下での会食」を呼びかけながら自身は90人以上で会食をする始末です。
谷本氏による長期の県政は終わりを迎え、衆議院議員の馳浩氏が次期県知事に就任。
新知事が掲げたスローガンは「新時代」。
しかし、22年前に衆議院に初当選した馳氏が掲げていた言葉も「新時代」。
政権が変わっても、権力者や著名人からの声で政権を取る姿や女性が男性のサポート役として立ち振る舞う姿は何も変わっていない様です。
そこへ反論する人々の姿は見えず、皆同じように笑い、同じように怒る「ムラ」社会が映し出されています。
次にカメラはムスリム一家へ向けられます。
実は、監督とムスリム一家との出会いは石川テレビへ入社をしてから半年後、偶然デスクからの紹介を受け取材をした時だったとのこと。
県内では少数派となるムスリムを映すことで、多数派となる県政の対比として描きたかったとのことです。
映画内ではムスリムの女性、ヒクマさんが発する言葉から、日本人が何気なく行なっている言動に同調圧力が隠れていることを考えさせられます。
「人前で愛情表現をしないのはどうしてなのか。」
「キリスト教徒ではないのに、街をクリスマスツリーで飾り付けお祝いをするのはどうしてなのか。」
「ロシアとウクライナ情勢について、被害が大きい立場だと擁護をされるのはどうしてなのか。人権が気になるというのであれば、全ての人を含むのではないか。」
日本がムラ社会であることを改めて感じさせられるものの、ムスリム一家もまた、ヒクマさんを中心とする女ムラであることが映画から見えてきます。
例えば、松井さんがムスリムの中でも日本人という理由から弾かれていることやヒクマさんへ反論ができないこと。
子供たちは宗教に対して生まれた時から何も反発ができないこと。
同調圧力がはびこるムラ社会は、ここにもあることが見えてきます。
そして、最後に中川さん一家、秋葉さん夫婦の2組のバンライファーへも密着します。
写真提供(C)石川テレビ放送
中川さんは、娘の結生(ゆい)ちゃんをバンに乗せ海へ。時には湖へ。
「好きな場所で好きな時に」、自由に仕事をする生活が映し出されています。
しかし、密着の時間を経るごとに、ここにもムラ社会があることが見えてきます。
中川さん自身が経験した「自由な生活に近づくノウハウ」を子どもへも強要する姿が垣間見えてきました。
毎日起こった出来事を日記に書く約束に、結生ちゃんは不服な様子。
けれども父親の前では反論をせず従う姿が映し出されます。
本映画内では、女性と男性、高齢者と若者、日本人と外国人等、対比をするシーンが
何十回にも渡り登場します。
監督は「対比をすることで矛盾を映し出すこと」を大切にしていたといいます。
「他者と他者」だけでなく、個人が時間を経て変化をする様子へも焦点が当てられています。
時に矛盾を浮き彫りにするために、厳しい質問が監督から投げかけられるシーンや監督自身がカメラ内に登場するシーンがあります。
写真提供(C)石川テレビ放送
そのような状況で出る言動こそが、人間の多面性や本質の表現である、とも考えているとのことです。
県議会のしどろもどろとなる言動に対して、ムスリムやバンライファーの表情や言葉は、手触りがありそこに「生」があることを感じさせます。
そして、「人間には多面性があること」も大切にしながら制作をしていたとのことです。
何度も出てくる「ムラ」という言葉にも、家父長制・同調圧力・忖度等さまざまな言葉を頭に思い浮かべた方も多いかと思います。
けれども、正解はないとのこと。
むしろ「出てきた感情や感想を共有し、話し合ってみてほしい」との監督の言葉から多様性を感じてほしい、とのメッセージのように感じました。
監督がバンライファーに着目した理由は、「世間の空気に流されず、自分のスタイルや生き方を貫いている」からとのことでした。
県知事、ムスリム一家へ取材をしていく中で感じる同調圧力や忖度の空気。
コロナによって世の中がいとも簡単に1つの方向に流され、1つの色に染められていく状況を目の当たりにする中、それらと対比する存在を探していたとのことでした。
監督は県内で自分の生き方を貫いている人を探している時に、中川さんが運営する「田舎バックパッカー」のサイトに出会いました。
写真提供 中川生馬さん
「中川さんの人生は真似が出来ないと感じ、人間として興味を持ちました。」
大手メーカー勤務のステータスを捨て、世界をバックパッカーとして旅し、バンライファーとなり田舎へ移住した中川さん。
そのような意思決定が出来る姿から、バンライファーは自分の意志を大切に生きている存在だと監督には映ったようです。
取材を始めた監督に衝撃が走ったのは、結生ちゃんが都会では見られない「開かれた世界」で伸び伸びと育っている姿を目の当たりにしたことでした。
海に飛び込んでプールのように遊ぶ、父親と共にバンライフを楽しむ天真爛漫な姿が印象的だったとのことです。
一方、何か悶々とした雰囲気を醸し出していたバンライファー・秋葉さん夫婦。
そんな自分を変えたくて、仕事を辞め旅に出た秋葉さん夫婦でしたが、
コロナ禍で周囲の目を気にし、装っている自分たちに違和感を感じている様子が映し出されています。
けれども、時間を重ねるごとに中川さんや結生ちゃんとの生活を通して、気持ちが解放されていく様子が映し出されています。
田舎バックパッカーへ訪れた当初は、結生ちゃんに先導され村を歩いていた秋葉さん夫婦。
気が付けば、秋葉さん夫婦が結生ちゃんを引っ張って走り出すシーンや、監督に向かって「演出入っているでしょ。」と少し挑発的になるシーンへ様変わりします。
そして、石川県から北海道へ向かうと決めた秋葉夫婦。
「家や仕事を捨てて、それでも先が見えないバンライフをする理由は?」
という監督からの問いかけに、秋葉博之さんはこのように答えます。
「世間からの目、外側への意識を克服したい。仕事や人のせいにするのではなく、自分の内側に意識を向け、満たす旅をしたい。」
バンライファーへの密着取材をした監督からは、彼らがどのような存在に映るのでしょうか。
五百旗頭(いおきべ)監督
「場所や時間に捉われず、仕事や生活ができる状態がコロナで注目されるようになってきました。
バンライファーは時代を先読みしていたのではないかと思います。再び時代が逆戻しになったとしても、
バンライファーの生き方を楽しく発信してほしいです。
「生き方の多様性がある中で、可能性を感じる生き方がバンライファーなのではと思いました。」
本映画では、ムラ社会の2つの普遍性が描かれています。
変わらない普遍性とさまざまなものに当てはまる普遍性。
それは文化・宗教に当てはまるものから、家族・個人に当てはまるものまで大小様々です。
私たちが生きている国を動かす政治家も、宗教は違えどムスリムも、自由の象徴に見えるバンライファーも。
どんな「ムラ」にも忖度や同調圧力、多様性は存在し、その中で私たちは生きています。
一方で、何を選んでもいい自由も存在しています。
それはきっと、自分で変えることが出来る普遍。
あなたの心に蓋をしてしまっているものはありませんか?
何をしてもいい社会になった時、あなたはどうしますか?
人生の舵取りをするのはやはり自分自身、ということを教えてくれた映画のように私は感じました。
年齢・環境・家族構成・宗教・・・観る人により感じ方や気づきが変わる「裸のムラ」。
ぜひ、あなたの眼で観て、何を感じるのか確かめてみてください。
10月8日(土)より[東京]ポレポレ東中野、[石川]シネモンド他全国公開!
監督:五百旗頭幸男
撮影:和田光弘
編集:西田豊和
音楽:岩本圭介
音楽プロデューサー:矢﨑裕行
プロデューサー:米澤利彦
製作:石川テレビ放送
配給:東風
2022年|日本|118分|ドキュメンタリ―
◇公開表記
10月8日(土)より[東京]ポレポレ東中野、[石川]シネモンドほか全国順次
◇公式HP
記事内写真提供およびフォトクレジット:(C)石川テレビ放送