年間30-40日、家族4人でハイエース+キャンピングトレーラーで車中泊しながら、サーフィンやスキーなどアウトドアを楽しむ。 冬だけ雪国で二拠点生活するなど、「旅」をテーマに場所に縛られない働き方・ライフスタイルを満喫中。
茨城を中心に、関東に15店舗の飲食店を経営する矢田部武久さん(76歳)。
経営者としても有名で、様々なメディアにも取り上げられ、経営に関する書籍も出版されています。
2023年3月に仕事を引退して、10ヶ月かけてキャンピングカーでアメリカ大陸を奥様と二人で縦断しました。
2025年3月には、今回の旅の様子をまとめた本を出版予定です。
30歳で起業してから長年仕事漬けの人生を過ごしてきましたが、70代で壮大なキャンピングカー旅を決断した背景にあったものとは。
また、常に挑戦し続けるパワーの源とは。
今回は、矢田部さんにお話をうかがいました。
22歳の時に3ヶ月かけて世界一周のバックパッカー旅をしました。
ハワイから出発して、アメリカのLA、メキシコにいき、そこからヨーロッパへ渡り、スペイン・イタリアのあとヨーロッパアルプスの最高峰であるモンブランに登りました。
スイスに滞在しているときに、バイクで回っている日本人の若者に会ったのですが、スイスからタイのバンコクまで陸路で走るとのこと。
面白い人がいるな〜と大いに影響を受けて、私も2年後にアジアからヨーロッパへバイクで横断する旅を実現しました。
3ヶ月かけて、インドのカルカッタから中近東をメインに周遊して、最終的にはドイツのフランクフルトまで行きましたね。
次にアメリカ大陸を縦断しよう!と決めていたのですが、母親から大反対を受けまして。
当時25歳だったのですが、いつまでもフラフラしてるなと涙ながらに怒られて、旅に出るのを諦めました。
その後、実家のあんこ屋さんで仕事をしていました。
自分のしたいことを我慢しながら働いていたら5年が過ぎてしまって。
うつ病になってしまい、夜寝ている時が何も考えなくて良いから一番幸せで、朝起きるとパニックになるという状態になってしまいました。
さすがにそんな状況に耐えられなくて、父親に置き手紙をして家出をしたんです。
そこからが本当の私の人生の始まりですね。
「せっかく家を出たのだから好きなことをやろう!」と思い、最初はアメリカに行って一旗あげようと思いました。
そのために東京に出て、3ヶ月アルバイトをして100万円稼ぎました。
それでアメリカ行きのチケットを買う予定でしたが、ひょんなことから友人から貿易の会社に誘われて共同で始めることに。
海外であんこを売るために台湾で苦労して販路を開拓したのですが、為替の関係で3000万円の借金を負ってしまいまして。
今度はタバコのフィルターを売ったりして繋いでいたのですが、借金は返済できませんでした。
当時イギリス人の妻と結婚していたのですが、平日は毎日実家のあんこ屋の経営をして、週末は奥さんがいる東京に戻る生活をしていました。
でも、和菓子も需要が減ってきてあんこも先細りの状態だったので、どうしようかなと考えていた時です。
茨城のつくば市で大規模な開発が進むと聞いて現地に行ってみました。
これから都市計画が進んで100万都市ができると市役所で聞いたので、その場の勢いで不動産会社をやっていた叔父に土地を探してもらったんです。
すぐに一等地が見つかったのですが、そこが今のとんQの1号店の場所です。
その時はまだ何の事業をやるかも決めていなかったのですが、融資を受けた銀行の人をお昼に連れて行ったのがトンカツ屋さんでした。
いつもお店に人がいっぱいなのを見て、トンカツ屋をやろう!と思いまして。
でも飲食店の経験が全くないので、横浜のトンカツ屋さんに勉強のために無給で働かせてもらったり、奥さんと東京の繁盛店の食べ歩きをしました。
晴れてトンカツ屋さんは無事オープンしたのですが、それからはあんこ屋とトンカツ屋の二足のわらじ。寝る時間も無いくらい働きました。
トンカツ屋とんQを開業してからは1日4時間睡眠で、休む暇がありませんでした。
仕事で追い詰められるほど、いつかはアメリカ大陸を縦断するんだ!という想いが沸々と湧き上がってきて。
仕事も一生懸命やって借金も返済し、15店舗まで拡大できた。
心の中でいつかやってやるという野心がありました。
そんなある日、脳に血が溜まる病気になってしまい手術をしました。
ドクターにもう先は長く無いかもしれないと言われ、海外に住んでいる子どもたち全員を日本に呼んで、いよいよ死ぬ覚悟をしました。
だけど、自分が本当にやりたいことができていないことが心残りで、このまま死んでも良いのかと2-3日落ち込みましたね...。
もし万が一退院できたら、仕事よりも自分のやりたいことを優先しようと決めて、ノートにやりたいことを全部書きました。
そしたら入院して3ヶ月後に退院することになって。
早速会社に戻って幹部を集め、「今までは仕事優先にやってきたけど、これからは自分のやりたいことをやる」と宣言しました。
社長を引退しないと旅はできなかったので、4年をかけて事業承継を実施。
2023年3月に息子へ社長を継がせて、50年間あたためてきた夢である「アメリカ大陸縦断旅」をようやく実現できるタイミングが整いました。
「アメリカ大陸縦断旅」は24歳で旅した時と同様に、最初はバイクで行くつもりでした。
でも奥さんと一緒なので二人乗りでバイクは難しい。
また、年齢的にバイクを倒した時に起こすのも大変でしたし...。
そこでキャンピングカーで旅することにし、SNSで世界一周キャンピングカー旅を発信していた雲野さんにどんな車が良いか相談をしました。
アラスカは道の状態がよくないので、四駆の車でないと難しいだろうとアドバイスいただき、トヨタのタンドラ(※1)にキャンパー(※2)を載せることにしました。
※1:北米トヨタが販売しているトヨタ自動車のフルサイズピックアップトラック。オフロードでの走破性が高い。
※2:ピックアップトラックの荷台に脱着可能な居住スペース(キャンパーシェル)
娘夫婦がニューヨークに住んでいたので、車は彼らに頼んで旅に出発する1年前から探してもらうことにしました。
トラックに載せるキャンパーも別で探しましたが、車両のタンドラの積載量がオーバーしない範囲でのキャンパーを探すのがなかなか難しくて。
旅に出発する3ヶ月前に、車とキャンパーをようやく購入することができました。
購入したのは、2022年式の走行距離がたった2,800kmの中古車。
値段はちょっと高かったですが、故障しないことを最優先にし、また旅が終わった後に高く売却できることを考えて決断しました。
ですが、その後が大変でした。
娘の名義で車を購入しましたが、ニューヨーク州で旅行者は車を購入できないため、所有権を移転するためにペンシルべニア州まで行きました。(州によって法律が異なるため)
でも、2週間待っても手続きは終わらず。
そこで色々調べて、現地の人が購入した車を旅行者に所有権移転する業務をしている人をようやく見つけ、モンタナ州でやっと所有権移転の手続きができました。
ニューヨークでようやくキャンピングカーを購入できたので、その後はカナダへ向かいました。
カルガリーから北上してホワイトホース、ドーソン(ユーコンテリトリーの中心)に行き、ドーソンから約900kmのところにあるカナダ最北端の村トゥクトヤクトゥクへ行きました。
そこからまたドーソンまで帰ってきて、アラスカに入り北極海に面したアラスカの最北端ブルード・ベイへ。
カナダの最北端とアメリカの最北端の両方へ行きました。
そこからカナダ・アメリカと南下し、南米のメキシコからベリーズ・グアテマラ・ホンジュラス・エルサルバトル・ニカラグア・コスタリカ・パナマ・コロンビア・エクアドル・ペルー・ボリビア・チリ・アルゼンチン・ウルグアイと、10ヶ月かけて合計17カ国、54,000kmのキャンピングカー旅をしました。
アメリカ大陸縦断旅をする人は、みんなアラスカからパンアメリカンハイウェイ(南北アメリカ大陸を結ぶ幹線道路網)を使って、アメリカ大陸最南端のアルゼンチンの街USHUAIA(ウシュアイア)を目指します。
一般的には、車やバイク、自転車などを使って。
ただ、このハイウェイだけだとつまらないので、途中で内陸に入って観光地を楽しんだりしながら、南下して10ヶ月かけてアメリカ大陸の最南端USHUAIA(アルゼンチンの最南端、フエゴ島に位置する都市)へ到着しました。
ここから南極への定期便が出ており、ここが旅の最終目的地になります。
車中泊場所については、「iOverlander」というアプリを使って探しました。
車中泊旅をしている人と情報交換するために、大抵キャンプ場に泊まっていましたね。
キャンピングカーにはエアコンがなかったので、中南米などの熱帯地方では、ほとんどホテルに泊まっていました。
1つめは、アラスカの北極海に面した村「トゥクトヤクトゥク」です。
アラスカ物語(十五歳で日本を脱出、アラスカにわたり、エスキモーの女性と結婚。
飢餓から一族を救出して救世主と仰がれたフランク安田の生涯を描いた新田次郎の本)という本があるのですが、昔から読んでいて、行く前に読み直しました。
だからこそ、そこへ行った時にユーコン川がずっと流れているのをみて感動しましたね。
2つめは、ドーソン(アラスカとカナダの国境にある)というゴールドラッシュの場所です。
昔はそこで金を取ってドーソンでお金に替えていました。
お金があるので、酒・女と繁華街として栄えた場所です。
そこが今も残っていて、板張りの歩道が敷かれ、スイングドアのあるサルーンや木造のホテル・劇場・裁判所などが当時のままに並ぶ様子は、まるで西部劇の世界のようで面白かったです。
3つめは、チリのアタカマ砂漠。(※)
※チリのアンデス山脈と太平洋の間に広がる海岸砂漠で、全体の平均標高は約2,000mにも達し南北約1200キロメートルに広がる砂漠。
世界でいちばん晴天率が高く空気が澄んでいることから、世界一きれいな星空が見える場所として有名。
私はかつてゴビ砂漠やサハラ砂漠など世界中の色々な砂漠をバイクで走っていて、砂漠が大好きなんです。
世界中の様々な砂漠を横断するのも目標の一つになっています。
南北に砂漠が広がっていて、広大な道を横断するのに4日間もかかりました。
4つめは、アルゼンチンのパンパス大平原。
南極に向かっていくと高い山や草もなく果てしなく大草原が広がっていて、ずーっと走っていても変わらない景色なんです。
地平線が見えるまっすぐな道をドライブするのは気持ち良かったですね。
車中泊旅で困ったのが、トイレ休憩が難しいことです。
日本と違ってトイレがあまりないので、奥さんはなるべく水分を取らないようにしてました。
レストランやガソリンスタンドにいった時は、必ずトイレを使うようにしましたね。
簡易トイレは最初積んでいたんですけど、車の中で用を足すのは難しくて途中で捨ててしまいました。
男性はどこでも用を足せるけど、女性はその点大変だと思います。
あとは、アンデス山脈で毎日標高2000mを登って降りるという旅をしていた時に、ブレーキパッドがかなりすり減ってブレーキが効かなくなってしまったのは焦りましたね。
普通新車で買ったらブレーキパッドはなかなか減らないので、予想外のトラブルでした。
修理工場に行ったらブレーキパッドを交換しないとダメだと言われたけど、タンドラは中南米では売っていないので部品がないんです。
ディーラーに聞いたら、アメリカから取り寄せるのに40日かかると。
エクアドルでは古い車が多くて故障してしまうと部品がないので、現地で作ってしまうことが多いそうです。
ブレーキパッドも作ってしまおうと言われたのですが、正規品ではないので品質が心配で...。
でもエンジン周りの部品ではないので大丈夫ということで、作ってもらって無事交換できました。
また、旅の途中でタイヤが3回パンクしましたね。
エクアドルで標高4000mのところにある湖に行く道、チリのアタカマ砂漠からボリビアの国境の道も洗濯板のようにガタガタで、パンクしました。
日本でパンクというと釘を踏んだりが原因ですが、南米では石だらけの道でパンクするんですよね。
そこで日本のタイヤの凄さを実感しました。
空気圧をチェックした時に満タン40のうち23まで下がったのですが、それ以上は減らないのです。
本当に大丈夫かなと思って車から出てタイヤを直接確認しても、ちゃんと空気が入ってる。
下り道でパンクしましたが、それでなんとか持ち堪えて、下りきったところでタイヤを交換できました。
日本製のタイヤはやっぱり安心ですね。
旅先で感じたのは、外国人は一切気を使わず自分さえよければ良いというスタンスだということ。
例えばガソリンスタンドで給油するのを待っている時、給油が終わっているのに窓を拭いたりして並んでいる人を気遣って急ぐ様子が全くない。
それが普通なんです。
最初は、現地の人の周囲にあまりにも気を使わない様子にイライラしましたが、自分優先の方がストレスもなくて良いなと思えるようになりました。
逆に日本人の方が他人に気を使いすぎなのかもしれません。
この旅でその影響を受けて、日本に帰ってきてからも自分優先のマインドで暮らしてます。
自分さえ良ければまあいいや、と思えるようになりました。そのほうが気持ち的にも楽。
スペイン語で「Hasta mañana(アスタ・マニャーナ)」という言葉があるのですが、「今日はもう終わりだから明日にしよう」とか「なんとかなるさ」という意味です。
人の生き方を考えたらその方が楽だし、幸せになれると思いますね。
ともかく「ビビるな」と言いたいですね。
今回の旅も出発前にたくさんの人に「危ないから気をつけろ」と言われました。
実際に旅をしてみたら危ないことはもちろんあるけど、人の優しさにたくさん救われました。
夫婦二人で力を合わせれば何とかなることも多かったですね。
危ないと思わずに勇気を出して一歩踏み出してみれば、その先に素晴らしいものに出会えます。
ぜひそうした精神で挑戦してみてください。
あとは陸路で旅するなら、車とタイヤ選びは大事ですね。
どこの国に行ってもオーバーランダー(車でキャンプをしながら旅をすること)はトヨタの車に乗っていました。それだけ故障やトラブルが少ないからですね。
フォードは故障が多いので、ほとんど走っていませんでした。
あと、タイヤは日本製が安心です。
悪路でスタックやパンクなどのトラブルは付きものなので、高くても信頼できるタイヤを選んだほうが良いです。
私の20代からの夢なんですけど、モンゴルのゴビ砂漠とパミールハイウェイ(アフガニスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタンを通り、パミール山脈を横断する 1,200 km を超える道路)を通ってサハラ砂漠へ行きたいです。
実はこの旅の相棒となる車、トヨタのランドクルーザー(大型のSUVで高い走破性能をもち、オフロードにも定評のある四駆の車)を購入しまして、来週納車です。
それを車屋さんに依頼してキャンピングカー仕様にDIYします。
キャンピングカーは、ウラジオストクに船で運ぶ予定です。
モンゴルのゴビ砂漠のあとはトルコを通ってヨーロッパに行くんですけど、奥さんは後から飛行機で来てヨーロッパで合流する予定です。
来年の6月に出発して、半年旅したいと思っています。
その後一旦日本に帰ってきて、今度は西アフリカから南アフリカまで旅したいですね。
もう生きている間にやりたいことはすべてやろうと思っています。
経営者としても数々の苦労を重ねながらも成功を収め、50年越しの「アメリカ大陸縦断の旅」の夢を叶えたというお話は、まさに矢田部さんの壮大な人生のストーリーそのもの。
一度死を覚悟されたことで、生きている間にやりたいことをすべてやる!という想いに火が付いたとのお話でした。
ただ、頭で考えても行動に移すのはさらに勇気が必要です。
高齢でありながら様々なことに果敢にチャレンジし、トラブルを乗り越えてきた矢田部さんは、若い時からの旅や仕事での幅広い経験が土台となって、素早い決断・行動力に繋がっているのだろうなと、感銘を受けました。
お話を聞いて、自分の人生を振り返った時に最高に楽しかったなと心から思えるように、心の声に素直に耳を傾け、日々を大切に生きていきたいなと人生観を学ばせていただきました。
2023年3月に創業40年のとんきゅう株式会社の代表を引退して、アメリカ大陸縦断の旅へ。
キャンピングカーで妻と2人で、アラスカからアルゼンチンまで10ヶ月かけて走破しました。
今回の旅で撮影された写真を展示する「FEEL THE EARTH 矢田部武久 報告会&写真展」を、つくば市民ギャラリーで10月29日(火)〜11月2日(土)開催。
2025年3月にはアメリカ大陸縦断旅の様子をまとめた書籍がAmazonにて発売されます。
年間30-40日、家族4人でハイエース+キャンピングトレーラーで車中泊しながら、サーフィンやスキーなどアウトドアを楽しむ。 冬だけ雪国で二拠点生活するなど、「旅」をテーマに場所に縛られない働き方・ライフスタイルを満喫中。